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映画 「トゥルー・グリット」 [映画]

テレビで観ました。
「コーエン兄弟監督、スピルバーグ制作総指揮」=派手め、という先入観がありましたが、そういう事でもありませんでした。



映画 「トゥルー・グリット」
監督:コーエン兄弟、制作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ
出演:ヘイリー・スタインフェルド、ジェフ・ブリッジス、マット・デイモン、ジョシュ・ブローリン
パラマウント(¥1000くらい)
オススメ度 ★★★☆☆

以下、超ネタバレです。

ジョン・ウェインの「勇気ある追跡」(1969)のリメイクだそう。(未見)
タイトルの「トゥルー・グリット」は、劇中のセリフでは「本当の正義」と訳されていたと思います。
「グリット」は直訳すると「勇気」とか「やり抜く力」という意味のようです。

しかし私は今作を見て、「これは正義でも勇気でもない」と思いました。
一番近いのは「やり抜く力」だろう、でもこの単語ではピンとこない。
やはり、皮肉な意味での「真の勇気・正義」なのでしょう。

↓あらすじです。
牧場主だった父親が使用人(ブローリン)に殺害され、かたき討ちを決心した14歳の少女、マティ(ヘイリー)。
彼女は、得意の話術で資金を調達し、容疑者をすぐに射殺してしまう悪癖を持った連邦保安官(ブリッジス)を雇う。もちろん、目的は犯人の殺害だ。
一方、懸賞金目当てで犯人を連行しようとしているテキサス・レンジャー(デイモン)には、一切協力する気はない。
しかし、連邦保安官がレンジャーと協力したいと言うので、嫌々、3人で追跡の旅に出る。
途中、犯人の仲間と遭遇しては殺害しつつ(やむなく…という感じです、喜々として殺すわけではないです)、幾度目かの野宿の最中、彼女は突然犯人に遭遇し、とっさに父の形見の銃を撃ってケガをさせるが、犯人の一味に捕まってしまう。
連邦保安官とレンジャーの活躍のおかげで、ついに犯人を自らの手で殺害したものの、銃に不慣れな彼女は、銃を撃った反動でガラガラヘビの巣に落ちてしまい、手をかまれてしまう。
連邦保安官は、毒で朦朧となった彼女を抱えて、人家へと走る。
数十年後。
蛇の毒のせいで片腕を失った彼女は、既に中高年となっている。
長年探していた連邦保安官の居所をやっと見つけるのだが、彼は数日前に亡くなっていた。
彼の遺骸を引き取り、自分の土地に葬った彼女。
次に見つけ出さなければならないのはレンジャーだ。

…って感じ。

この先は描かれていませんが、また彼女は「やり抜く」んだろうな、と思った。
とにかくこの映画は、彼女の「やり抜く」力の話だった。

彼女が連邦保安官を雇おうとした時、連邦保安官がその気になるように「あなたが真の勇気(トゥルー・グリット)を知っているからこそ、依頼するのだ」というようなことを言うんだけど。
違うよね。
「こいつ犯人かな?」と思った瞬間に射殺するのは、勇気でも正義でもないと思う。
私は「この人たちの真の勇気とやらはどうなっておるのだ」と思った。
これが上で書いた「皮肉な意味での」という事です。

何と言えば良いのか…、すぐ撃つのは彼の「流儀」じゃない?
彼女は、自分の恨みと、彼の流儀を、得意の弁舌でマッチさせただけだと思う。

そもそも、普通の映画なら、14歳の少女は「殺害」より「逮捕」を選ぶのではないでしょうか。
この映画では、どうしてもどうしても、犯人殺害の意思を貫こうとする。
これこそがトゥルーなグリット=やり抜く力、なのだろう。

ラストでは少女は片腕のオバサンになっている。
(ここで、この映画のナレーションをしていたのが、実は成長した彼女だった、という事を知る事になります。)
腕を失ったのは、多分、呪いの代償だよね。
しかし彼女が独身なのは、恐らく、今も人探しを「やり抜き中」だからではないか。
だから、彼女は孤独ではない。

コーエン兄弟の「ノーカントリー」も、1人の殺人者がずっとターゲットを追い続けた。
あれもいわばトゥルーなグリットだったワケよねー。
怖いわー。

ところで、私が一番グッと来たシーンは、最後の方の、黒馬のシーンです。
途中で、馬がね…馬がね…、ここ悲しすぎるよね…。

あと、主人公の女の子が昔のローラインガルスみたいだった。
懐かしいねぇ。
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