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小説 「むかし僕が死んだ家」 [小説]


むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

むかし僕が死んだ家 (講談社文庫)

  • 作者: 東野 圭吾
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 文庫


小説 「むかし ぼくが しんだ いえ」
東野圭吾 講談社文庫(¥560 税込)
オススメ度 ★★★☆☆ (知人から強くススメられて読みました。)



↑の写真の帯に、「記憶喪失の恋人と…」と書いてありますが、これは違います。
正しくは、「幼少期の記憶がない『元』恋人」。
微妙に、浪漫ちっく度が変化しますよね。

以下、作品のキモの部分についても書いてしまいますので、ご注意を。

この作品、ひとから勧められて読んだのですが、どうやら私はその人と微妙に感覚が違うらしい。
そんなに良いと思えなかったんだよ。ゴメンネ。

(1)そもそも、なぜ自分の子供の頃の記憶を取り戻したいのか?取り戻せば現状が何とかなると思っていることが理解できない。
一応説明はあるんだけど、「そうかなあ?」と思った。
(てっきりどんでん返ると思ってたんだ!でも、どんでんしなかったんだ。)

(2)しかも(1)は最終的には失敗だったんだと思う。多分。
これだけひっぱって、なんともならないのかい!と言いたくなった。
ミステリだからさー、純文学じゃないからさー、できればキッチリ片をつけてほしいんだわー。

(3)なぜ設定を「元カレ(主人公)に手伝ってもらう」事にしたのか?元カレでなければならない理由がない。
作者は、「彼でなければ」という筋書きに出来なかったんだろうか。
(そもそも、よりを戻すのでもない限り、そんなことを元カレに手伝ってもらうなんてさー。余りにも無神経だと思うんだけどなー。)

(4)主人公の立ち位置が、私にはしっくり感じられなかった。書き出し部分を読んで、元恋人と、そうなる以前の昔に何かかかわりがあったのね?と思ったけれど、結局傍観者だったもの。
「僕だって同じようなものだ」って言われてもさー…。

(5)そもそも、偶然記憶を失うなんてちょっと都合よすぎ。
まあそれがラッキーだって事で利用することにしたとしても、なぜ記憶を封印しつづける工作は無かったのか?
一体どういう理由で「突然思い出すことは無いだろう」とまわりの大人は思っていたのだろうか。

(6)「記憶が戻るように仕掛けた」?
いやいや偶然でしょう。それだったら、まず、「記憶を封印する工作」があってしかるべきだし、(5)で書いたような「封印しつづける工作」があったはず。

(7)仕掛け人ともいうべき人に違和感。「こんなことをやったなんて…きっとおかしくなってしまったんだね。」とかの方が、納得できるのではないか。

(8)この作品にはいくつかのからくりが仕掛けられているのだが、そのうちのいくつかは、恐らく読者は途中で気づくだろうと思う。
気づかずにぐるぐるする登場人物を見て、「なぜその可能性に気づかないのだろうか」と、イラッとした人が多かったのではないか。
気づかないでいる理由が不明。

多分、私は東野圭吾についてハードルを高く設定しすぎなんだろうと思う。
「東野圭吾なんだから、最高でないと許さないよ」みたいな。
勝手な思いいれ。

どうしても、小さなホコロビに目が行くんです。
というか、ホコロんでいてほしくないんですよね。

スミマセン。

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